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【織田信長に仕えた黒人侍 弥助(YASUKE)】ーその正体と謎に迫るー

歴史
tmooyyによるPixabayからの画像

織田信長に仕えた黒人の侍、弥助(YASUKE)を知っているだろうか。

海外では映画化の話が出る程の人気があるらしい。まだまだ謎の多い人物ではあるが、彼の正体に迫ってみたい。

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1.史実とエピソード

1-1 日本に渡来

弥助やすけ。生没年不詳)は、戦国時代の日本に渡来した黒人。イエズス会のイタリア人宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノの護衛、従者、もしくは奴隷として織田信長に謁見し、気に入られ、家臣として使えるようになった。

出身地は東アフリカ(モザンビーク)とされている。

日本に到来したイエズス会宣教師たち。彼らに付き従う黒人の召使が描かれている。
『ウィキペディア フリー百科事典日本語版』Wikipedia


1-2 信長に仕える

天正9年2月23日(1581年3月27日)、宣教師ヴァリニャーノが信長に謁見した際、奴隷として連れてきた。

『信長公記』には「切支丹国より、黒坊主参り候」との記述がある。

年齢は26、27歳ほどで、「十人力の剛力」、「牛のように黒き身体」と書かれている。

信長は、この黒人を大変気に入り、ヴァリニャーノに交渉し譲ってもらい、「弥助」と名付けて正式な武士の身分に取り立て、身近に置く事にし、将来的には、城持ちにしようとしていたという。

1-3 エピソード

京都で黒人の事が評判になり、見物客が殺到して喧嘩、投石が起き、重傷者が出るほどであった。

初めて弥助を見た信長は、肌に墨を塗っているのではと疑い、着物を脱がせ体を洗わせた所、彼の肌はより一層黒く光ったという。

1-4 従軍記録

弥助の従軍記録、戦闘記録として、1582年の甲州征伐(武田氏滅亡)、同年の本能寺の変がある。

1-5 本能寺の変

天正10年6月2日(1582年6月21日)の本能寺の変の際、弥助も本能寺に滞在しており、明智光秀の襲撃に遭遇すると、二条御所に行って異変を知らせ、信長の息子で後継者の織田信忠を守る為、明智軍と戦った末投降して捕縛された。

明智光秀は「黒奴は動物で何も知らず、また日本人でもない故、これを殺さず」として処刑しなかった為、弥助は南蛮寺に送られ、一命を取り留めた。

この光秀の発言について、弥助に情けをかけて、助命する為の方便であったとする説、黒人に対しての差別意識の表れだったとする説、その両方の説があるが、真相は定かではない。

1-6 弥助のその後

南蛮寺に預けられて以降の消息については、史料に記載されておらず、全く不明である。

その後の史料の中には、黒人が登場するものが幾つか存在するが、弥助かどうかは不明。

フロイスの『日本史』の沖田畷(おきたなわて)の戦いには、有馬氏側に大砲を使える黒人がいるとの記述有り。

慶長10年(1605年)頃に描かれた『相撲遊楽図屏風』には、肌の黒い男と力士が相撲を取る描写がある。

1-7 信長のデスマスク(真偽不明)

愛知県瀬戸市定光寺町の西山自然歴史博物館には、信長と伝わるデスマスクが展示されている(確証はない)。

一説によれば、弥助が持ち出した信長の首から作られたという。

Leandro De CarvalhoによるPixabayからの画像
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2.弥助(YASUKE)の正体を想像してみる

2-1 本当に侍(サムライ)だったのか?

『信長公記』の筆者である、加賀大田家の太田牛一の自筆本の写しと推測される写本に、弥助が私宅と腰刀を与えられ、信長の道具持ちをしていた記述有り。

徳川家康の家臣である、松平家忠による『家忠日記』の天正10年4月20日(1582年5月12日、甲州征伐からの帰還途中)付けの記述に、「信長様が扶持を与えたという、宣教師から進呈された黒人を連れていた。

体は墨のようで、身長約1.82m、名は弥助という」と記されている。

日記の記述には、弥助は下人や奉公人ではなく、扶持持ちの士分だったとはっきり記載されている。

2-2 活躍したのか?

弥助の活躍ぶりを記述した資料は存在しない。だが、本能寺の変に際し、二条御所で信忠を守る為に戦った記述はある。

黒人で大柄である事からも、敵方はビビったと考えられるし、「十人力」と評される事からも、結構活躍したかもしれない。

2-3 どんな人物?

信長のそばで用心棒のように付き従い、近衛兵のような立場であったと考えられる。侍かどうかについては、まだ議論の余地がある。

難点を上げるとすれば、「弥助」という名前だけで姓が与えられていない事であろう。だが、弥助は家来になって一年余りである。何らかの手柄を立てる必要があったかもしれない。

信忠を守る為に、二条御所での戦闘記録があるだけで弥助がどんな人間だったのかは大体想像出来る。彼は別に逃げてもよかったのだ。見ず知らずの国で命を懸けて戦う必要は無かった。

Juan Carlos BertonattiによるPixabayからの画像

3.映画化の話

映画化の話は賛成だが、変に黒人を持ち上げるようなポリコレ的映画にはしてほしくない。信長は間違いなく、ゲイか、バイセクシャルとして描かれそうだ。

アフリカ出身の侍がいた 戦国時代の数奇な人生、ハリウッド映画へ

今から500年近く前、1人の背の高いアフリカ人男性が日本に到着した。彼はその後、武士の地位を手に入れた最初の外国人となる。その数奇な人生が、複数のハリウッド映画の題材になろうとしている[後略]

アフリカ出身の侍がいた 戦国時代の数奇な人生、ハリウッド映画へ – BBCニュース
最終更新日時:2020年1月20日 
アクセス日時:2022年11月25日 03:23(日本時間)

2019年5月には、映画『ブラックパンサー』の主演で知られるチャドウィック・ボーズマンさんが、弥助主演で映画化予定との報道があったが、2020年8月29日、惜しくも彼は大腸ガンで死亡してしまった。

現在この件に関しての続報は無いものの、別の映画会社で製作中との噂もある。残念だと思っていたら、なんとネットフリックスでアニメ化していた。

Netflixアニメ『Yasuke -ヤスケ-』の主人公・弥助、マンガの世界ではどう描かれてきた?

2021年4月29日より、Netflixでオリジナルアニメシリーズ『Yasuke -ヤスケ-』の全世界独占配信が開始した。

本作の舞台は日本の戦国時代で、アフリカ系の主人公・ヤスケ(弥助)が活躍するファンタジーアクション時代劇(全6話構成)[後略]

Netflixアニメ『Yasuke -ヤスケ-』の主人公・弥助、マンガの世界ではどう描かれてきた?(加山竜司) – 個人 – Yahoo!ニュース
最終更新日時:2020年1月20日 
アクセス日時:2022年11月25日 03:23(日本時間)


ファンタジーアクション時代劇・・・。邪悪な力に狙われた不思議な少女とか、超能力がバリバリ出てくるらしい。海外の反応が気になるところだ。

Stefan KellerによるPixabayからの画像

4.まとめ

戦国時代、日本は金の産出があり交易は盛んだったので、宣教師としての白人だけでなく、商人や海賊としてのアジア系等、外国人が日本に多数存在した可能性は高いのではないか。

信長は、フロイスのような白人の宣教師から表向きの情報を得ると同時に、黒人奴隷(従者)として連れてこられた弥助のような身分の人間から、裏の生情報として、白人が征服した土地で黒人がどのように扱われているかも聞いていたと思われる。

黒人に関しては、当時の時代背景を考慮すると、労働力として売られてきた可能性も考えられるが、信長が弥助と会うまで黒人の存在を知らなかった事から、白人の従者として少なからず存在した程度だろう。

弥助のその後は不明だが、実は日本に残って子孫がいるかもとか、故郷に帰れる事があったのだろうか等、想像は尽きない。

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