戦後日本の解決すべき問題。その筆頭たる北方領土の問題であるが、最近ではたまにニュースで扱うだけで、本当に返還されるのか、もうどうしようもないのか、そもそも関心さえないのか、思う所は様々であろう。
今更だが、歴史的経緯と解決方法を考えてみる。
1.そもそも北方領土問題とは?
学校教育や、TVや新聞で何となく御存知の方も多いと思うが、問題の経緯や日本政府の交渉等詳しい事は知らない方が殆どと思われる。
北方領土返還を叫ぶ街宣右翼などのイメージから、微妙に距離を置く方も多いはずだが、そもそも北方領土は日本固有の領土であり、右左翼が関係無く、日本人なら問題意識を持っていて当然と考える。
1855年2月7日,日本とロシアとの間で「日魯通好条約」が調印され択捉島とウルップ島の間に国境が確認されました。それ以降も,択捉島,国後島,色丹島及び歯舞群島からなる北方四島は,一度も他国の領土となったことがない,日本固有の領土です。しかし,1945年に北方四島がソ連に占領されて以降,今日に至るまでソ連・ロシアによる不法占拠が続いています。
北方領土|外務省 (mofa.go.jp)
政府は,北方四島の帰属の問題を解決してロシアとの間で平和条約を締結するという基本方針に基づき,ロシアとの間で強い意思をもって交渉を行っています。
最終更新日時:2021年3月31日
アクセス日時:2022年5月23日 12:10(日本時間)
2.領土問題発生の歴史的経緯、解決策
日魯通好条約(1855年)
日本はロシアより先に北方領土を発見、19世紀初めに四島の実効支配を確立。ロシアも19世紀前半には、ウルップ島(択捉のすぐ北の島)を自国の領土と認識していた。同条約に置いて択捉とウルップの間の国境線を確認。
樺太千島交換条約(1875年)
千島列島をロシアから譲り受け、代わりにロシアに対して樺太全島を放棄した。
ポーツマス条約(1905年)
日本はロシアから樺太(サハリン)の北緯50度以南の部分を譲り受けた。
日ソ中立条約(1941年4月)
相互不可侵条約。有効期間は5年、期間満了1年前迄にどちらかの国が廃棄通告しない場合5年間延長される。
ポツダム宣言(1945年8月受諾)
日本の敗戦に伴い、日本の主権が本州、北海道、九州及び四国並びに連合国の決定する諸島に限定される事を規定している。
サンフランシスコ平和条約(1951年9月)
樺太の約半分と千島列島に対する全ての権利、権限及び請求権を放棄しました。しかし、北方四島は千島列島の中に含まれず、更に、ソ連は、サンフランシスコ平和条約には署名していない為、同条約の権利を主張することはできない。
日ソ共同宣言(1956年)
歯舞と色丹以外は領土交渉に一致は見い出せず。戦争状態の終了、外交関係の回復等を定めた日ソ共同宣言に署名した。平和条約の締結は交渉継続、歯舞と色丹は平和条約締結後に日本に引き渡す事で両者合意した。
以後、数十回に及ぶ交渉を行うも、解決していない。
・解決策は主に2つ
3.ロシア側の気持ち
ホントは返す気全然無いんだけど、金とか技術とか騙し取れそうだから、適当に交渉続けよう。
領土問題解決して平和条約結べば、ロシアにとっても、有益だし、内容次第かな。
日本は所詮アメリカの属国だし、返した瞬間北方領土に米軍基地とか建設されたらかなわんな。交渉は無駄無駄。
4.日本側の気持ち
北方領土問題解決して平和条約結べば、とりあえず攻めてくる心配はあまり無いし、経済協力や技術協力出来るし、対中、対米のカウンターになるし、政府への支持率も上がるし、いい事ずくめだ。
5.今後どうするか
日本政府は今まで、領土問題及び平和条約締結に向けての交渉を、数十回以上に渡り行ってきたが、今に至るまで遂に解決出来てない。
様々な問題があるとしても、これだけ交渉を回数を重ねて解決しないというのは、穿った見方をすると、どうもアメリカの邪魔がある気がする。
実は、安倍元総理の時に解決寸前まで行ったらしい。そして、ロシア側は、北方領土を返還後、島に米軍基地が建設される可能性を一番の懸念事項として持っていた。
これを日本の外務省は、基地を建設しない事は確約出来ない、わからない、という返答をして、結局交渉は決裂になったとの事である。もう少し、うまくやっていれば・・・結果は違っていたかもしれない。
日本とロシアが仲良くなると、アメリカのいう事聞かなくなりそうだし、日本に火種を残してポチにしておく為に徹底的に邪魔してやろう。
ロシアによるウクライナ進攻 に対する、日本のロシアに対する制裁等から見ても、今後交渉していくのも非常に困難な状況になっている。武力で取り返せるでも無し、見通しは暗いと言わざるをえない。
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